応用地球物理 学分野の歩み
(旧物理探査工学分野・旧探査工学 講座およびジオフィジクス分野)

応用地球物 理学分野は物理学的手法を用いて地下を探査する物理探査法,および物理探査による油層・鉱 床や地盤・岩盤の評価に関する研究・教育を行っている研究室である.

歩み

設立以前〜物理探鉱学講座の設立 (昭 和15(1940)年12月)
藤田 義象 の時代 (昭 和15年12月〜昭和21年10月)
清野 武 の時代 (昭和22年4月〜昭和30年6月)
吉住 永三郎 の時代 (昭和30年10月〜昭和58年3月)
探査工学講座への名称変更 (昭和39年4月)
佐々 宏一 の時代 (昭和58年6月〜平成 9年3月)
探査計測システム工学講座 物理探査工学分野への名称変更 (平成8年4月)
芦田 讓 の時代 (平成9年4月〜 平成19年3月)
地殻工学講座 ジオフィジクス分野への名 称変更 (平成15年4月)
三ケ田 均 の時代(平成20 年3月〜)
応用地球物理学分野への名称変更(平成22年4 月〜)
 


設立以前〜物理探鉱学講 座の設立 (昭和15(1940)年12月)

物理探査に関しては,当学科は 我が国において最も早く研究活動を開始した研究機関である.大正時代に当時の採鉱学第一講 座の教授であった井出健六は地球物理学の応用による地下資源探査の重要性をいち早く認識し, 測定機器の入手に努めた.

物理探査の技術史上有名な我が国における最初の物理探査が大正8年(1919)7月に,当教室の 山田賀一によってターレン・ティーベルグ式磁力計を用い兵庫県において磁鉄鉱探査のために 実施された.その後,大正14年(1925)には藤田義象によってシュルンベルジェ式電気探鉱機 を用いて柵原や別子鉱山で電気探査が実施された.


藤田 義象 の時代 (昭和15年12月〜昭和21年10月)

このように,大正末期より物 理探査に関する研究が実施されており,その重要性のために昭和15年(1940)12月に物理探鉱 学講座が新設され,採鉱学第一講座の担当教授であった藤田義象 (昭和15年12 月〜昭和21年10月) が初代教授としてこの講座を担当した.

藤田は伊藤一郎,梶川浩二とともに,工学部電気工学教室,理学部地球 物理学教室,同地質学鉱物学教室と協同して活発に研究を進め,電気探査,磁気探査,重力探 査,弾性波(地震)探査などの各種探査法の探査能力の検討や現場測定を実施し,地下資源の探 査・開発に大きく貢献した.また,我が国での金属鉱山における弾性波探査の実施も藤田によ るものが最初である.


清野 武 の時代 (昭和22年4月〜昭和30年6月)

藤田の退官と梶川の第2次世界大戦中の南方での逝去があ ったが,本学電気工学教室において電気探査に関する研究を活発に実施していた清野 武 (昭和22年4月〜昭和30年6月) が担当教授として着任し,伊藤一郎,谷口敬 一郎らとともに電気ならびに磁気探査法の理論的研究を精力的に推進した.各種の地下構造や 地形についての境界値問題を解析するとともに,重要な多くの標準曲線を作成した.さらに, 測定結果の解析に必要な逆境界値問題についても考察し,電気探査法の基礎理論を確立した. これらの業績は電気探査の理論的発展に大きく貢献した.

清野が電子工学教室へ配置換えになる前に限定出版した著書「電気探鉱 学I, II, III」は,現在でも電気探査の研究に従事する研究者のバイブル的図 書として活用されている.


吉住 永三郎 の時代 (昭和30年10月〜昭和58年3月)

清野が本学の電子工学教室へ配置換え後,教授吉住永三郎 (昭和30年10月〜昭和 58年3月) がこの講座を担当した.吉住は28年の長きに亘りこの講座を担当し, 主として電気探査,及び物理探査の地盤・岩盤工学への応用の分野の発展に大きく貢献した. その業績は吉住の停年退官に際して門下生が中心となって出版した 「吉住永三 郎教授記念論文選集」にまとめられている.

吉住の業績の中で最も大きなものは,入江恒爾らと協同して行った アナログシミュレーターの設計・製作と,これを縦横に駆使した電気探査電位法に関する研究 業績である.さらに吉住は,電気探査比抵抗法に感度分布という新しい概念を導入し,これを 発展させてρa-ρu解析法という全く新しい解析法を考案した.また,電磁誘導法,過渡現象法 についても研究した.


探査工学講座への名称変更 (昭和39年4 月)

この講座は昭和39年 (1964)4月に鉱山学教室が資源工学教室に改組されたときに,創設当時の物理探鉱学講座から 探査工学講座へと名称を変更した.物理探査に関する研究のみならず,物理探査を利用する地 盤・岩盤の現位置評価などの物理探査の地質工学への利用に関連する分野にも研究範囲を拡大 した.


佐々 宏一 の時代 (昭和 58年6月〜平成9年3月)

吉住の停年退官後,教授佐々宏一 (昭和58年6月〜平成9年3月) が担当した.当時の当講 座の教官は,佐々 宏一,芦田 讓,菅野 強,渡辺 俊樹の4名であった.

佐々は昭和52年(1977)4月に開発工学講座から配置換え となって以来,電子計算機による弾性波探査及び電気探査のシミュレーション,弾性波探査反 射法及び直接法の逆解析手法の開発とその高精度化,弾性波トモグラフィによる地下の可視化 及び物理探査技術を利用する地盤・岩盤の評価に関する研究に重点をおいて研究を進めた.

芦田は石油資源開発株式会社物理探鉱本 部より昭和61(1986)年9月に当講座の教官として採用され,過去の経験を生かして,主とし て弾性波探査反射法の高精度化に関する研究を電子計算機によるモデリングと信号処理及びモ デル実験により推進した.菅野は電気探査比抵抗法の高精度化と比抵抗トモグラフィの開発な ど,主として電気探査に関する研究を電子計算機を駆使して行った. 渡辺は物 理探査の地盤・岩盤工学への適用と探査結果の工学的解釈に関する研究を電子計算機によるモ デリングと実験によって推進した.

このように探査工学講座は,利用頻度が高く,かつ,重要な全ての物理探査法及び その利用について研究するとともに,地下探査の高精度化のための新技術などについても活発 に検討を進めた.

(ここまで,水曜会誌第 21巻2号(90周年特集号)「教室の歩み」より.)


探査計測システム工学講座 物理探査工学分野への改組 (平成8年4月)

平成8年(1996)4月に大学院重点化に伴い大講座制に改 組されたときに,名称を物理探査工学分野と変更し,計測評価工学分野とともに探査計測シス テム工学講座を構成することになった.

改組に伴って,4月に菅野は地殻開発工学講座資源高度利用工学分野の助教授に昇 任し,11月には芦田は資源開発工学講座の教授に昇任した.物理探査工学分野の教官は,教授 佐々 宏一,助手 渡辺 俊樹の2名となった.

(「大学だより」 (渡辺俊樹,物理探査,第50巻2号148-150頁,1997)より)


芦田 讓 の時代 (平成9 年6月〜平成19年3月)

佐々 の停年退官後,教授芦田 讓 (平成9年6月〜平成15年3月) が担当した.ま た,平成10年3月に石油資源開発株式会社物理探鉱部より松岡俊文が助教授として着任した. 当講座の教官は,芦田 讓,松岡 俊文,渡辺 俊樹の3名となった.

当時の物理探査工学分野は,弾性波探査を中心に物理探査 法及びその利用について研究するとともに,地下探査の高精度化のための新技術などについて も活発に検討を進めた.平成13年11月に松岡は地殻工学講座地質工学分野の教授に昇任し, 平成14年4月には資源開発工学講座から菅野強が准教授に復帰した.


地殻 工学講座 ジオフィジクス分野への改組 (平成15年4月)

その後,平成15年4月の工 学研究科改組に伴い,社会基盤工学専攻地殻工学講座ジオフィジクス分野に名称が変更された. その直後の5月には渡辺俊樹が名古屋大学に転出した.同時にシュルンベルジェ株式会社より 真田佳典が助手として着任した.

平成16 年10月には(独)海洋研究開発機構・海洋工学センター・グループリーダーであった三ケ田 均 が講師として着任した.平成18年3月の菅野強の退職,平成19年2月真田佳典の(独)海洋 研究開発機構地球深部探査センターへの転出,平成19年3月地質工学分野からの尾西恭亮の助 手への転入を経て,平成19年3月には芦田讓も定年退職を迎えることとなった.

この時期は,芦田の積極外交による活発な 人事異動,社会基盤工学への積極的な探査技術の応用,ピークオイル説,自然科学への進出な ど,探査技術の多種多様な分野への応用が目立った.また,上述の異動により,平成19年 4月にジオフィジクス分野は,准教授 三ケ田 均,助教 尾西恭亮の2名体制とな った.


三ケ田 均 の時代 (平成20年3月〜)

芦田 讓の定年退職後,約1年 の教授不在の期間を経た後,平成20年3月に三ケ田 均が担当教授となった.そ の後,平成20年10月1日に地球電磁気学を専門とする後藤忠徳が(独)海洋研究開発機構よ り准教授として着任した.平成21年6月1日には尾西恭亮助教が秋田大学工学資源学部地球資 源学科地球システム工学講座へ転出,平成21年7月1日に(財)地域地盤環境研究所から武川 順一(平成18年度に当研究室で博士修了)が助教として着任した.平成22年4月の社会基盤工学専攻および都市社会工学専攻の改編に 伴い、地殻工学講座から資源工学講座への名称変更が行われた。研究室名称もジオフィジクスから 応用地球物理学に変更となり,社会基盤工学専攻資源工学講座応用地球物理学分野となった。平成27年4月1日には、准教授であった後藤忠徳が都市社会工学専攻地殻環境工学講座に転出し、研究室は三ケ田・武川の2名体制となり現在に至っている.